早田ひなさんって、幼少期はどれだけ可愛かったのかな?
画像もたくさん見たい!
卓球日本代表選手として、日本中から注目を集める早田ひな選手。
そんな早田ひなさんの幼少期が超可愛かったと話題です。
この記事では、
- 早田ひなの幼少期の画像
- 早田ひなの小学生、中学生、高校生の画像
- 早田ひなの幼少期や代表入り当時のエピソード
を詳しく紹介していきます!
【画像】早田ひなの幼少期(子供時代)が超可愛い!
2024年現在、24歳の早田ひなさん。
そんな早田ひなさんの幼少期がどれだけ可愛かったのか、画像を見ていきましょう。
引用元:stillnessのなんでも語るブログ
こちらが早田ひなさんの幼少期の画像です。
年齢的には0~1歳くらいでしょうか?
ニコニコ笑顔が可愛いね!
可愛いお洋服を着て、ご機嫌さんなのかな!
こんなに可愛い子供時代だった早田ひなさんが、あんなに美しくなるとは
早田ひなさんは父親、母親、6歳年上の姉がいる4人家族の次女として育ちました。
家族仲はとても良く、卓球選手として活躍する早田ひなさんのことを常に支えてくれる存在です。
なお、自身も卓球経験者である姉は、早田ひなさんのサポートのために栄養士の資格まで取ってくれたんだとか。
母親とともに早田ひなさんの栄養面でのサポートをしてくれていると言います。
とても妹想いな優しいお姉さんなんだね!
ちなみに、両親はともに卓球は未経験のようですが、父親については社会人サッカーチームの元選手です。
早田ひなさんの身体能力の高さは、父親譲りなのかもしれませんね。
お父さんはサッカー経験者だったこともあって、本当は子供にはサッカーをさせたかったみたい!
でもお母さんが日焼けで黒くなっちゃうから駄目だと言って、結局姉妹揃って、卓球を始めているんだよね笑
早田ひなさんの幼少期は超可愛かったことがわかりましたね!
早田ひなの幼少期(子供時代)の画像を時系列で紹介
早田ひなさんの可愛さたっぷりの画像を時系列で紹介していきます!
幼稚園の早田ひな
早田ひなさんの幼稚園の頃の画像がこちらです。
引用元:stillnessのなんでも語るブログ
早田ひなさんが卓球を始めたのは、4歳の頃。
きっかけは、先に卓球を始めていた姉の影響でした。
興味を持っていたところ、卓球クラブのコーチから「小さい時から始めたほうがいい」と言われ、姉と同じ卓球クラブに通うようになります。
通っていたのは、地元の名門と言われる「石田卓球クラブ」だよ!
小学生の早田ひな
早田ひなさんの小学生の頃の画像がこちらです。
引用元:stillnessのなんでも語るブログ
早田ひなさんが初めて全国大会に出場することとなったのは、小学2年生の時でした。
全日本卓球選手権大会・バンビの部(小学2年生以下の部)に出場を果たしています。
この大会では、予選リーグは突破しましたが、決勝トーナメントの1回戦で敗退。
その際の優勝者は、現在でも共に卓球界で活躍する伊藤美誠さんだったんだとか。
伊藤美誠さん、小さい頃から最強だったのか
伊藤美誠さんとはその後、平野美宇さんも含めた同い年3人で、「黄金世代」として知られるようになります。
小学生時代の早田ひなさんは、全国大会で優勝を果たすことはなかったものの、常に上位の成績を収めていました。
早田ひなさんもかなり早い段階で、頭角を現していたんだね!
中学生の早田ひな
引用元:miko news for you
幼少期に超可愛かった早田ひなさんは、中学生の頃になると、現在のような美しい姿になっていきます。
中学生の頃の早田ひなさんは、卓球にさらに本格的に取り組むようになり、かなりの躍進を見せています。
しかしその裏では、中学生になって急に身長が伸び始めたことで、これまでのプレースタイルが通用しないというスランプに陥っていた時期でもありました。
スポーツ選手には、そういう苦悩もあるのか…
大変だなぁ
早田ひなさんは、悩みながらも新たなプレースタイルを模索し続けました。
そして、中国のトップ選手である丁寧選手のプレースタイルを参考するようアドバイスを受けたことから、台から少し離れてプレーするスタイルに変更しています。
現在のような、長い手足を活かしたダイナミックなプレースタイルを確立したのはこの時期で、卓球のスキルを一段と向上させました。
中学3年生の時には、丁寧選手から直接指導を受けたこともあったよ!
成長期によるスランプがありつつも、プレースタイルを体格の変化に合わせて変えていくことで、全国中学校卓球大会では、2年連続で優勝を果たしています。
さらに、ジュニアの日本代表にも選出され、中学時代から国際舞台での経験も積んでいます。
この頃から、ライバルの伊藤美誠さんと平野美宇さんとともに、日本の卓球界を牽引する存在として注目されるようになっていきます。
高校生の早田ひな
引用元:だいふくブログ
早田ひなさんの高校生の頃の画像もありました。
中学卒業後は、福岡県の強豪校である希望が丘高等学校に進学し、卓球部に入部。
早田ひなさんは、高校時代にも引き続き、輝かしい成績を収めています。
高校1年生から実力を発揮し、インターハイ女子シングルスでは優勝。
1年生でのインターハイ優勝は、同校の先輩である加藤美優さん以来4年ぶりの快挙でした。
1年生なのに、すごい!
また、同年にITTFワールドツアーオーストラリアオープンにおいてもツアー初優勝を飾っています。
高校2年生の時には、伊藤美誠さん、平野美宇さんらとともにアジア選手権日本代表に選出され、女子団体銀メダル、女子ダブルス銅メダルを獲得。
この頃から、早田ひなさんは日本代表に定着し、主な戦いの舞台を国内から国外の試合へシフト。
同年の世界選手権デュッセルドルフ大会では伊藤美誠さんと組み、女子ダブルスで銅メダル。
さらに、高校3年生の時、全日本選手権でも伊藤美誠さんと組み、女子ダブルスで優勝を果たしており、自身初の全日本タイトルを獲得しています。
ライバルの伊藤美誠さんとダブルスを組んで、「みまひなペア」として親しまれるようにもなったよ!
この他にも、早田ひなさんは高校3年間で多くのタイトルを獲得。
その成長ぶりは目覚ましいもので、着実に世界で戦える選手へと成長を遂げていきました。
早田ひなさんがこんなに立派な卓球選手になってとても嬉しいですよね!
早田ひなの幼少期の伝説エピソード!
ここで、早田ひなさんの幼少期の伝説エピソードを紹介します!
右利きなのにサウスポー
引用元:Number Web
早田ひなさんは、左利きでラケットを握ってプレーするサウスポーです。
しかし、驚くことに早田ひなさんは本来は右利きで、卓球の時だけ左利きでプレーしていると言います。
えー!どういうこと!?
実は、卓球競技において、左利きにはメリットが多いとされています。
というのも、右利きの選手であればバックで打つようなコースのボールをフォアで打てるなどの長所を活かした戦術が可能となるためです。
親や指導者が左利きプレーヤーとして育てるケースも少なくはないんだとか。
そのため、早田ひなさんもまた卓球を始めた時から、ラケットは左で握ってプレーできるよう矯正をしたと言います。
すごい器用なことしているんだな~
ちなみに、サウスポー選手になるきっかけとなったのは、4歳の時に通い始めた石田卓球クラブのコーチの目利きによるものでした。
体のバランスを見て判断し、まだラケットを一度も握ったことのなかった早田ひなさんに、左で始めるようにコーチが勧めたのです。
コーチの目利きもすごいし、それで才能を開花させた早田ひなさんもすごすぎる!
黄金世代の1人として切磋琢磨してきた
引用元:Rallys
早田ひなさんと言えば、同い年である伊藤美誠さんと、平野美宇さんとともに、「黄金世代」として注目され、日本の女子卓球を牽引する存在です。
2000年生まれで同い年の3人は、世界レベルにまで成長し、常に切磋琢磨し合ってきました。
3人とも同い年で「黄金世代」と呼ばれて、ここまで全員が頑張り続けているのは、本当にすごいことだよね!
学生時代から比較されることも多かったと思いますが、早田ひなさんは、あくまで常に自分軸でした。
「同世代に素晴らしい選手が2人もいたから自分も頑張れました。」と、2人の存在をむしろポジティブに捉えています。
ただただ卓球で強くなることだけを考え、ひたむきに努力し続けてきました。
目標に向かってぶれないその姿勢、とってもかっこいい!
もちろんライバル意識はあるとも話されています。
しかし、その関係性については、「団体戦のときはチームジャパンとして共に戦う」「個人として対戦するときはライバル」「試合が終わると仲良し」と語る早田ひなさん。
ライバルでありながらも、そのように3人それぞれがしっかりと意識し区別できているからこそ、良い関係性でお互いを高め合えたのではないでしょうか。
3人とも、どこまでもプロフェッショナルで本当にすごいですよね。
これからも卓球界を引っ張る存在として、頑張ってほしいね!
早田ひなの代表入り当時の画像
早田ひなさんの日本代表入り当時の画像がこちらです。
引用元:Wikipedia
向かって右から2番目にいるのが早田ひなさんだよ!
高校2年生だった2017年4月に、日本代表として出場したアジア選手権の時の早田ひなさんです。
この大会では、女子団体で銀メダル、伊藤美誠さんと組んだ女子ダブルスで銅メダルを獲得しています。
また、5月の世界選手権でも、伊藤美誠さんと組んでダブルスのみに出場。
日本勢としては16年ぶりとなる銅メダルを獲得。
同種目での16歳ペアの銅メダル獲得は、史上最年少となりました。
さすが、黄金世代の2人!
以降も国内外で活躍を重ね、高校卒業後は大学には進学せず、日本生命レッドエルフに所属しています。
早田ひなさんは、2021年の東京オリンピックでは、万が一欠場が出た場合に、その代わりに出場する”リザーブ選手”として選出。
最後まで出番はありませんでしたが、サポートに徹しました。
なお、2024年7月より開催予定のパリオリンピックにおいては、女子シングルス・女子団体・混合ダブルスの代表候補選手に内定しています。
早田ひなさんにとっては、初めてのオリンピック!
活躍がとっても楽しみだね!
これはとんでもない逸材でしたね。
これからの活躍にもますます期待が高まります。
これからも早田ひなさんのことを応援していきましょう。