吉岡里帆の幼少期画像が可愛い!子供時代やデビュー当時の伝説エピソードも!

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にゃお

吉岡里帆さんって、幼少期はどれだけ可愛かったのかな?
画像もたくさん見たい!

吉岡里帆さんの幼少期が超可愛かったと話題です。

この記事では、

  • 吉岡里帆の幼少期の画像
  • 吉岡里帆の小学生、中学生、高校生の画像
  • 吉岡里帆の幼少期やデビュー当時のエピソード

を詳しく紹介していきます!

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目次

【画像】吉岡里帆の幼少期(子供時代)が超可愛い!

2024年現在、31歳の吉岡里帆さん。

そんな吉岡里帆さんの幼少期がどれだけ可愛かったのか、画像を見ていきましょう。

吉岡里帆の幼少期の画像
引用元:芸能人の学歴や有名人の高校・大学情報は芸能人有名人学歴偏差値.com

こちらが吉岡里帆さんの幼少期の画像です。

にゃお

可愛い~!
くりくりお目目が印象的だね!

ちゅー

こんなに可愛い子供時代だった吉岡里帆さんが、あんなに美しくなるとは

吉岡里帆さんの実家は父親と母親、3歳下の弟、祖母の5人暮らしの家庭でした。

家族については、「日本有数の仲良し家族」と語るほど仲が良いと言います。

また、映画村がある京都の太秦で生まれ育ったため、芝居や演劇など、幼少期から自然と文化的なものが身近にあったと語っています。

加えて両親や祖父母が伝統芸能を好んでいたこともあり、映画、演劇のみならず歌舞伎、日本舞踊、落語など様々な芸術文化に触れながら育ちました。

にゃお

伝統芸能の舞台に連れていってもらうのが、吉岡里帆さんにとっても休日の楽しみになっていたみたい!

ちゅー

家族みんなで色んな芸術文化に親しんでいるんだね!

吉岡里帆さんの幼少期は超可愛かったことがわかりましたね!

吉岡里帆の幼少期(子供時代)の画像を時系列で紹介

吉岡里帆さんの可愛さたっぷりの画像を時系列で紹介していきます!

幼稚園の吉岡里帆

吉岡里帆さんの幼稚園の頃の画像がこちらです。

吉岡里帆の幼稚園の頃の画像
引用元:TBS NEWS DIG

面影もあり、可愛さ満点ですよね。

こちらは吉岡里帆さんご本人がイベントの企画で自身の幼稚園の頃の写真を紹介した時の画像です。

この時、会場で一緒にいた俳優の成田凌さんもその美少女ぶりに驚いていました。

ちゅー

これはきっとこの頃からモテモテだね!

ちなみに、吉岡里帆さんの初恋は幼稚園の時でした。

なんとそのお相手は、現在芸人になられている同じ幼稚園出身のネイビーズアフロのはじりさんだったと言うのです。

はじりさんとは卒園後は小学校が別々になってしまったのですが、どうしても忘れられなかった吉岡里帆さん。

何もないまま年月は過ぎましたが、小学校3年生のバレンタインデーに吉岡里帆さんは、幼稚園の連絡網から住所を調べ、チョコを渡しに行きます。

その際に手紙を添えて「ずっと好きでした」と告白もしています。

にゃお

とても一途で積極的な一面がある女の子だったんだね!

ちゅー

吉岡里帆さんに好かれていたなんて一生の自慢だね

小学生の吉岡里帆

吉岡里帆さんの小学生の頃の画像がこちらです。

吉岡里帆の小学校の頃の画像
引用元:narudora media

父親が仕事で忙しかったことから、休日に家族でお出かけをすることがなかなか難しかったという吉岡里帆さん。

そんな吉岡里帆さんは、夜に父親が帰って来た時に、家族みんな一緒にテレビで映画やドラマを観て過ごす時間を大切にしていました。

小学生の頃は、『金曜ロードショー』や『ゴールデン洋画劇場』を家族で見るのが習慣になっていました。

また、習い事として、小学2年生の頃から書道をしています。

中学生の吉岡里帆

幼少期に超可愛かった吉岡里帆さんは、中学生の頃になると、現在のような美しい姿になっていきます。

にゃお

大人っぽくなって今の雰囲気に近づいたね!

中学生になった吉岡里帆さんは、小学6年生の時に見た映画『スウィングガールズ』に感動したことをきっかけに吹奏楽部に入部します。

楽器はアルトサックスを担当していました。

ちゅー

今でも趣味はアルトサックスを演奏することなんだって!

また、吉岡里帆さんはこの時の吹奏楽部の顧問の先生の口癖「周りを聴くこと」という言葉を座右の銘にしていると言います。

これは独りよがりな演奏にならないように、周りの音をよく聴き、調和を大切にするように先生が仰られていた言葉でした。

この言葉は、吉岡里帆さんは女優になった今でも大切にしていると言います。

高校生の吉岡里帆

吉岡里帆の高校生の頃の画像
引用元:さいとうっちブログ

吉岡里帆さんの高校生の頃の画像もありました。

中学卒業後は、京都府内でも有数の進学校として知られる京都府立嵯峨野高等学校に入学し、勉強漬けの日々を送っていました。

にゃお

学校では、1限目の授業がはじまる前から国語や英語に取り組んだり、放課後は大学進学のための特別授業に参加していたそうだよ!

そんな日々の中、当時は大学に進学する以上の目標が見つからず、何に向かって勉強をすれば良いのか分からずに苦しみ悩んでいました。

しかし、吉岡里帆さんは前向きに勉強を頑張り続けたと言います。

さらには高校時代は、大学生になったら何か大きいことをしようと思っていたため、アルバイトもしていました。

吉岡里帆さんは、私生活や役作りにおいてストイックだと言われることが多いですが、高校時代から真面目で、努力家だったことが伺えます。

ちゅー

かなり頑張っていたんだね

また、部活は軽音楽部に入部していました。

担当は中学の吹奏楽部の時と同様、アルトサックスでした。

軽音楽部で「さくらん」という名前でバンドを組んだようですが、結局これといった活動はせずに退部してしまいました。

その後は、ソフトボール部のマネージャーも務めたそうですが、あまり合わなかったため短期間で辞めています。

吉岡里帆の幼少期の伝説エピソード!

ここで、吉岡里帆さんの幼少期の伝説エピソードを紹介します!

書道と向き合い続けた学生時代

ちゅー

すごい達筆!

小学2年生の時、友人に誘われて始めた書道。

当時、体が弱くてスポーツがあまりできなかった吉岡里帆さんにとって書道との出会いは大きなターニングポイントとなりました。

その後、中学・高校でも書道に打ち込み、大学は書道の名門である京都橘大学の書道コースに進学しています。

女優を志す前はプロの書道家を目指していたと言います。

にゃお

進学先から本気だったことを感じるね

書道に向き合い続けた結果、現在は8段の腕前を持っています。

学生時代にそこまで書道を極めていたとは驚きですよね。

浮かれすぎで修学旅行に行けず大号泣

吉岡里帆の幼少期の画像
引用元:Jimmy's room

実は高校時代の修学旅行に行きそびれているという悔しい過去がある吉岡里帆さん。

行き先はシンガポールとマレーシアで、海外に行ったことのなかった吉岡里帆さんはとても楽しみにしていました。

クラスの実行委員に入り、自分でどこに行くのかセレクトするくらい浮足立っていたと当時のことを話しています。

しかしあろうことか、出発前日にパスポートを無くしていることが判明。

ただ一人だけ修学旅行に行けませんでした。

ちゅー

悲し過ぎる…

初めてパスポートを取得したということで、浮かれて手元に来たときに外に持ち出し、どこで無くしたかもわからない状況だったと言います。

誰よりも楽しみにしていた修学旅行に行けなかった吉岡里帆さんは大号泣。

未だにこのことについては友人からイジられるんだとか。

にゃお

吉岡里帆さんにとっては苦い思い出エピソードだなぁ

吉岡里帆のデビュー当時の画像

吉岡里帆さんのデビュー当時の画像がこちらです。

吉岡里帆のデビュー当時の画像
引用元:芸能人の噂好き広場
ちゅー

やっぱり可愛い~!

デビューしたきっかけは?

吉岡里帆さんは自ら芸能事務所の社長に直談判をしたことがきっかけとなりデビューしています。

初めて芝居の世界に興味を抱いたのが、頼まれたことから映画のエキストラ出演をした高校3年生の時でした。

その際に、「この一瞬のシーンにこんなに時間かけるんだ!」と感動し、かなりの衝撃を受けます。

にゃお

たくさんの人によって作り上げる映画の撮影現場にとってもロマンを感じたみたい

またこの現場で、映画監督を目指す同志社大学演劇部に所属する大学生の知り合いができます。

この知り合いに小劇場の舞台に誘われ、つかこうへい作品の『銀ちゃんが逝く』『蒲田行進曲』を観劇します。

小劇場の舞台を観るのが初めてだった吉岡里帆さんは、それまでに味わったことのない感動を体験したと言います。

なんとその時吉岡里帆さんは、すぐに「仲間にしてください!」と直談判したようですが、門前払いされてしまいます。

ちゅー

行動力がすごい笑

この後、高校3年生にして俳優養成所に通い始め、芝居の道にどんどんのめり込んでいきます。

幼い頃から書道家を目指し、書道を学び極めるつもりで、京都橘大学へ進学していますが、芝居への思いを断つことことができなかった吉岡里帆さん。

大学進学後は、自身も小劇場の舞台に立ち、学生主体の自主映画の撮影にも参加したり、さらに学生演劇に打ち込むようになりました。

にゃお

一気に吉岡里帆さんの中で、やりたいことの方向性が芝居の方へと向いたんだね!

その日々の中で、テレビも映画も東京制作が主体であると悟り、「やっぱり東京行かないとだめかな」と考え始めます。

結局、東京の養成所に通うことに決めた吉岡里帆さんは、京都の大学で演劇をしながら東京の養成所でレッスンを受ける往復生活を送ります。

この往復費用を捻出するために、アルバイトは居酒屋やカフェ、歯科助手など多い時で4つ掛け持ちしていました。

ちゅー

タフ過ぎる…

しかし、オーディションには落ち続け、養成所に通っているだけではいつまで経っても夢に近づけないと考えるようになりました。

そこで、吉岡里帆さんは事務所入りを目指します。

養成所の系列事務所であるエー・チームのマネージャーを紹介してもらい、「事務所に入れてください」と社長に直談判しました。

この思い切った行動が功を奏し、2012年末に大学2年生だった19歳の時に芸能事務所に所属し、翌年20歳で女優として芸能界デビューしました。

にゃお

いつもしっかりと目標を決めて行動できる吉岡里帆さんだからこそ、掴めたデビューなのかもしれないね!

吉岡里帆は10代の頃エキストラで映画に出演していた!

吉岡里帆さんの女優デビューは20歳ですが、前述にもある通り、高校3年生の時に芝居に興味を持つきっかけともなるエキストラ出演の経験があります。

当時エキストラとして、映画の画面に映り込む吉岡里帆さんの画像がこちらです。

2012年放映の映画『天地明察』という作品で、エキストラ出演ではあるものの、ピンク色の着物姿の吉岡里帆さんがしっかりと確認できます。

京都の撮影所の近くで生まれ育ち、その付近でアルバイトをしていた吉岡里帆さん。

ある時アルバイト先に、「8時間空を見上げることが出来る体力がある子はいないか」とエキストラ募集の声が掛かり参加することになりました。

もちろん、当時の吉岡里帆さんには演技の経験は全くありませんでした。

しかし、これを最初のきっかけとして、どんどん芝居の世界にのめり込んでいくこととなるのです。

ちゅー

撮影当日は真夏の炎天下で、結構過酷な撮影現場だったみたい

にゃお

エンドロールに自分の名前が流れるのを映画館で見た時は感動したそうだよ

これはとんでもない逸材でしたね。

吉岡里帆さんの女優デビューに至るまでの経緯が衝撃的でした。

これからも吉岡里帆さんのことを応援していきましょう。

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